46歳でネスレ日本のトップに立った深谷龍彦社長が描く未来、「議論しながらチームで動いて“選ばれる会社”を目指す」
日本は人口が年々減少する少子高齢社会であるが、イノベーションで成長を遂げてきた。だが、新型コロナの影響で外出自粛やインバウンド需要が落ち込むなど環境が大きく変化した。今後、ネスレ日本はどのような戦略で持続的な成長を実現するのか。2020年4月に社長兼CEOに就任した深谷龍彦氏に話を聞いた。
――新型コロナの影響を受けていると思いますが、直近の販売動向は。
当社は全体的に家庭内需要の売上構成比が高いため、おかげさまで順調に推移している。家で過ごす時間が増えた人が多くなり、家庭内コーヒーは伸びたが、ホテル、レストラン・カフェや、オフィスなどの家庭外のコーヒーの販売は苦戦している。
チョコレートも、家庭内消費は順調だが、インバウンド(訪日外国人観光客)のお客様から大きな支持を得ていた「キットカット」の抹茶シリーズなどのお土産製品は、大変苦戦している。要因は日本人観光客が減ったこともあるが、海外からのお客様がゼロに近いためだ。
それ以外の事業では、ペットフードの「ピュリナ」の売り上げが上昇している。家で過ごす時間が増えたことで、おやつ製品などが伸びた。また、栄養補助食品を展開する「ネスレ ヘルスサイエンス」は、医療従事者や患者様向けの製品であり好調に推移している。
――外出自粛の期間中はどのようなことを考えられていましたか。
まずは、どうやったら社員の安全を確保できるか。そして、その中でビジネスをどう継続するかを最初にやらなくてはならなかった。もともと当社は、海外とのミーティングなどでWEB会議用ソフトを日常的に使用していたことや、以前から自宅で働くことができるようインフラを含めて環境を整えてきたので、比較的スムーズに在宅勤務につなげることができたと考えている。お客様相談室は、4年前からAIのチャットボットで回答する仕組みを導入し、お問い合わせの約4割がAI対応になっている。
一方、コロナ禍においても、工場やコールセンター、ブティックなど、どうしても出勤しなければならない仕事がある。不安だったと思うが、その社員たちの頑張りによりお客様に製品を提供することができているので本当に頭が下がる思いだ。
資材や原料の調達面では、日本、アジア、世界という3つの調達チームで、代替の資材や原料を探す活動が機能し、大きな欠品をすることなくビジネスを続けられている。
そして、私自身は家で過ごす時間が長くなる中でコーヒーを飲む量が増えた。きっと多くの人たちが、不安な気持ちや通常とは異なる環境で仕事をするストレスを、コーヒーやチョコレートなどで癒しているのではないか。
食品メーカーであるわれわれが、品質の高いものを、ある程度お買い求めやすいお値段で、安定的に供給していくということの価値を強く感じた。その意味からも、コーヒーやチョコレート、またペットにとって必要な製品や医療従事者や患者様にとって必要な製品を扱っている私たちのビジネスの重要性を改めて見つめ直す機会となった。
――基幹事業のコーヒーとチョコレートの戦略について。
コーヒー事業では現在、「ネスカフェ」、「スターバックス」、「ネスプレッソ」の3つのブランドを有している。「スターバックス」ブランドは、2019年春から一杯抽出型マシンの「ネスカフェ ドルチェ グスト」の専用カプセルからスタートし、同年秋から一般的なレギュラーコーヒーも展開するようになり、まだまだコーヒー事業は伸ばすことができると考えている。コロナ禍でスターバックスの店舗が一時休業した際には、スターバックスの公式アカウントでも当社の「スターバックス」製品が紹介され、レギュラーコーヒーもプレミックス製品も非常に売り上げが伸びた。
お客様の層に合わせ、3つのコーヒーブランドでアプローチができるのは当社しかない強みだ。たとえばホテルなら、VIPが宿泊するフロアには「ネスプレッソ」を全室に置き、ミドルクラスのフロアでは「スターバックス」製品を提供し、スピードが必要な朝食会場では、「ネスカフェ」のレギュラーソリュブルコーヒーを導入するというようなパッケージとしての提案を行うことができる。3つのブランドを有していることを、家庭内でも家庭外でも最大限に活かしたい。
「キットカット」は、インバウンド需要がなくなってお土産製品が苦労しているが、こういう時だからこそ、新しいアイデアが生まれてくるのではないかと期待している。指をくわえて旅行者が帰ってくるのを待つのではなく、これまでずっとお世話になった観光業界に対し、「キットカット」からどのような恩返しができるのかを現在検討しているところだ。
――ネスレ日本をどのような組織にしていきたいですか。
前任の高岡は、ビジネスの調子のがあまりよくなかった頃に就任し、ある程度トップの力でターンアラウンドさせたことの功績は本当に素晴らしかった。だが、これからの時代はそうではないと思う。どのようにチームとしてそれぞれの組織をいい方向に向かせるかが重要だ。実際に現場で働く人たちに近い年齢の私が社長になったからこそ、過去の成功を引っ張るのではなく、議論しながらみんなの考えていることをすくい上げ、どうやってチームを運営するかを考えたいし、そのような会社に変わっていくと嬉しく思う。
一方、これまでの取り組みで継続したいものは、みんながイノベーションのマインドセットを持っていることだ。一人ひとりが考えて動くというメンタリティーは当社の財産であり、これからも変えずに大切にしていく。
――EC(eコマース)チャネルは、オフィスでコーヒーなどを定期購入する仕組みの「ネスカフェ アンバサダー」などを展開されていますが、今後、さらに拡大する考えですか。
ECで取り扱う製品を増やすかどうかは、モノによると思う。コロナ禍でECでの販売は伸びているが、スーパーマーケットなどの店舗でも非常に売れている。ECで売れる商材と、スーパーマーケットだからこそ売れるという商材は異なる。たとえば、「ネスカフェ ドルチェ グスト」、「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」、「ネスプレッソ」といった一杯抽出型のマシンシステムのカプセルやカートリッジなど、いわば充足させるタイプの製品はECチャネルで好調だ。
EC比率で20%という目標を以前に当社は掲げたが、それは20%に到達することが大切なのではなく、そのくらい重視して皆でeコマースに取り組むという一つの宣言であり、その方向に向かっているという一つの指標でしかないと思う。当社が他の食品メーカーよりもEC比率が高いのは、ECに適した商材があったためである。
ただ、これから開発して上梓する製品がECに向かなければ、EC比率を30%や40%にするのは正しくないし、30%や40%にするためにECに適した製品ばかりを開発するのも違う。その時にわれわれの持つポートフォリオでECに向いていれば伸ばせばいいと思うが、そこはまだまだ小売業の皆様と一緒に売ることを重視していきたい。
私自身、コロナ禍で妻に頼まれたベーキングパウダーを探すため、何軒ものスーパーへ買い物に出かけたところ、6軒目で見つけられてとても嬉しかった。スーパーマーケットの店舗が開いていることのありがたさを実感したところだ。また、季節感であったり、新しいものとの出会いなどの面は、ECではなかなか難しいところだと感じている。
営業の人たちに伝えたいのは、私自身も営業の経験があるが、お店は情報の宝庫だということだ。モノが売られ、モノが買われていく場所なので、新しい変化はきっとそこが一番あるはずだ。だからそれに気づくことはとても重要である。営業マンは単にモノを並べて売るだけではなく、そこでさまざまな情報をつかんでくることがとても大切な仕事だと思う。
――流通企業などのステークホルダーと取り組みたいことは。
コロナ禍でスーパーマーケットなどの小売店の価値は多くの人が見つめ直している。われわれはお買い物の楽しさを一緒に作っていけるようにお役に立ちたい。もうひとつは、環境問題への取り組みだ。「キットカット」は昨年、主力の大袋製品の外袋を紙パッケージにして一歩を踏み出したが、当社は2025年までに全製品のパッケージをリサイクル可能またはリユース可能にするという目標を掲げた。これはさまざまなメーカーや小売業、リサイクル業者や行政と一緒に取り組まないと解決できない問題だ。賛同いただけるメーカーや小売業の方がいらっしゃったら一緒に取り組みたい。すぐにはできないが、今後の重要な課題だと考えている。
――変化の多い世の中で、どのような会社を目指しますか。
最終的にメーカーなので、消費者の方に選んでもらえる企業でなくてはならない。そのために、選んでもらえるブランド、選んでもらえる製品でなければならない。選んでもらうには、品質が高くて、おいしいもので、ある程度のお値段で買っていただけるという当たり前のことだけだと、今からの10年、20年は生きていけない。
そのような時、ネスレのパーパス(存在意義)に立ち戻ると、「個人・家族」、「コミュニティ(地域社会)」、「地球」のためにという3つの柱がある。この柱があるからこそ、ネスレという企業が生まれて現在まで存在し続けている。おいしく、高品質で健康的な製品をお届けすることで「家族や個人」に貢献し、沖縄での国産コーヒー実現に向けた活動などを通して「コミュニティ」を支援し、環境配慮型の容器の採用や工場の取り組みにより、将来に向けて「地球」を守る。そのような取り組みを通じて、選ばれる企業を目指していく。
――どのような社長を目指されますか。さきほど“チームとして”というお話もありましたが。
「チームで戦う」、「みんなで一緒に戦う」というのは当たり前だが、たとえば議論している中でアイデアを出すという時には、負けない社長でありたい。誰かが出してきたアイデアを“やろう”、“やらないでおこう”ではなく、一緒に考えてそこでアイデアを出す際に、いつまでも負けない一人でありたい。自分自身もアンテナを張り、アイデアを考えてみんなと一緒に議論したい。そして、社長のアイデアだから選ばれるのではなく、私のアイデアが面白いから選ばれるようにしていければ。みんなと一緒にというより、みんなに負けたくない。
【深谷龍彦(ふかたに・たつひこ)社長の略歴】
1973年9月生まれ(46歳)、大阪府出身。関西学院大学商学部卒。▽1996年4月ネスレ日本入社、 2001年6月ネスカフェ事業部、2008年1月飲料事業本部コーヒーシステム部部長、2013年11月ネスレS.A.ゾーンAOAアシスタントリージョナルマネジャー、2016年1月常務執行役員飲料事業本部長。
深谷社長は「ネスカフェ」を牽引し、プレミアム戦略、一杯抽出型システムの市場創造、「スターバックス」製品の日本市場での拡大など、家庭内外で飲料事業のイノベーションを推進した。2013年からは、ネスレのスイス本社で勤務し、2016年からはネスレ日本に戻り常務執行役員として変革を進めた。
趣味は読書。小説が中心であり、特に池波正太郎作品を好む。ビジネス書は「ハーバード・ビジネス・レビュー」以外は読まない。座右の銘は、「理と利と情」。人の心を動かすには、理由の理、利益の利、情けの情の3つが必要というもの。「“鬼平犯科帳”の長谷川平蔵は理と利と情をとてもうまく使っていた。ああいうリーダーを目指したい」(深谷社長)。