新しい食習慣を日本にもたらした「ハウス スープスパゲッティ」発売、1985年【食品産業あの日あの時】

現在販売されているスープスパゲッティ「ハウス パスタココ スープスパゲッティ」

「イタリー人はスパゲッティの理想の茹で加減を“アル・デンテ”という言葉で表現する。アル・デンテとは“歯に”ということであって、つまりスパゲッティを茹でながら、茹で加減を見るために一本取り出して前歯で噛んでみる。硬すぎたり芯があっては問題にならないが、軟くなる一歩手前の、前歯でスコッとかみ切る時にまだかすかな抵抗が感じられる、この状態をアル・デンテと呼ぶのであります。これさえ判っていただければ、スパゲッティの作り方はもう半分終わったようなものです。」

昭和43年(1968年)に刊行された映画監督の伊丹十三さんのエッセイ集『女たちよ!』(文藝春秋)に収録された「スパゲッティのおいしい召し上がり方」の一節だ。諸説あるが、アル・デンテという言葉が日本でも知られるようになったのはこの伊丹さんのエッセイがきっかけとも言われる。

食通としても知られた伊丹さんは文中で「スパゲッティは饂飩(うどん)ではない」と喝破し、当時の日本の洋食店で提供されていたスパゲッティを「茹ですぎたスパゲッティの水を切って、フライパンに入れ、いろんな具を入れてトマト・ケチャップで炒める。しかも運ばれた時にはすでに冷え始めていて湯気も立たぬ。これをあなたはスパゲッティと呼ぶ勇気があるのか。ある、というなら私はもうあなたとは口をききたくない。」と断じている。

やがて80年代に入ると、日本でも本場イタリアと日本の“スパゲッティ”の違いが少しずつ認識され始める。1982年には日本製粉(現・ニップン)がイタリアの「バリラ」とライセンス契約(~2017年で終了)、日清製粉(現・日清製粉ウェルナ)も翌1983年に「ディ・チェコ」の国内総販売元となった。

1985年に発売されたハウス食品工業(現・ハウス食品)のレトルトソース「ハウス スープスパゲッティ」も、こうした流れを受け企画された製品だった。当初ハウス食品はこの新しい商品を、家庭の食卓を預かる主婦層に向けて訴求しようとした。

だが当時の多くの日本人、特に子供たちにとってスパゲッティは学校給食で提供されるソフト麺のミートソースを指すもの。スープスパゲッティは一風変わった“洋風皿うどん”のように誤解されることもしばしばだった。ほどなくしてハウス食品はマーケティング戦略を見直し、ターゲットを働く若い女性に切り替える。

「日曜日の朝、ボサノバを聞きながらスープでスパゲティを食べる、とってもオシャレな僕の姉は、まだ独身です。」

1988年に放映したCMではモデルの米野真理子さんを起用し、商品の味や利便性ではなく、「スープでスパゲッティを食べることがオシャレ」であることを訴求した。おりしも男女雇用機会均等法が施行(1986年4月)され、好奇心旺盛な若い女性が雑誌を頼りに本格的なイタリア料理の味を探求し始めたころだ。スープに浸して食べるのだから、パスタの茹で加減は“アル・デンテ”にするのがコツだった。

翌1989年のCMは、よりダイレクトだった。

「ボーイフレンド5人、週3回、スープでスパゲティを食べる。It’s her style. ハウス スープスパゲッティ」

タイトスカートとハイヒールでオフィスを闊歩する女性の後ろ姿に、東京芸大出身の“シンガーソングデザイナー”和田加奈子によるタイアップソング「Dreamin’ Lady -It’s her stlye」が重なる。その世界観には前年に米国で公開され大ヒットしたメラニー・グリフィス主演の映画『ワーキング・ガール』の影響が強くにじむ。

同年には長谷川実業が東京・世田谷区に「カフェ ラ・ボエム」を出店。日本中に“イタめし”ブームが巻き起こり、パスタという言葉も市民権を得つつあった。以降ハウス食品はしばらく、スープスパゲッティを「都市で働く多忙な女性のライフスタイルに欠かせないオシャレなアイテム」として訴求し続けた。調理も片付けも手間がかからず、それでいてトレンディな空気をまとったスープスパゲッティは、恋に仕事に忙しかった当時のOLたちの気分にぴったりとはまった。

こうしてハウス食品は、それまで日本に存在しなかった「スープでスパゲッティを食べる」という食習慣を日本に定着させることに成功した。

2000年代に入ると生タイプカップ麺の進化や、コンビニパスタ、カジュアルイタリアンチェーンの台頭により家庭用パスタソース市場は縮小。「ハウス スープスパゲッティ」もラインナップを縮小したものの、現在も「パスタココ」のブランドでオンライン通販などで入手することができる。

発売から40年、久しぶりにその功績と、アル・デンテの歯ごたえを噛みしめてみてはいかがだろうか。

【岸田林(きしだ・りん)】