バレンタイン商戦を変えた「バレンタイン・キッス」誕生〈1986年2月1日〉【食品産業あの日あの時】

〈1986年2月1日〉バレンタイン商戦を変えた「バレンタイン・キッス」誕生【食品産業あの日あの時】(写真はイメージ)

日本チョコレート・カカオ協会によれば、「女性から男性に好意の証としてチョコレートを贈る」という日本独特のバレンタインデーが始まったのは1950年代のこと。諸説あるものの、メリーチョコレートカムパニーが1958年(昭和33年)に新宿伊勢丹で3日間のバレンタインフェアを開催したのは客観的事実のようだ。同社サイトによればその時の売上は「50円の板チョコレートが3枚と20円のメッセージカードが1枚、たった170円の売り上げ」だったという。

1980年代に入るころにはデパートでのバレンタインフェアが定着。並行して起こっていた流通革命により、バレンタイン商戦でも小売店の力が強くなってゆく。1984年にはダイエーがミュージシャンの坂本龍一さんを起用し、その名も「龍一さんのバレンタイン」、キャンペーンを展開。対するコンビニの雄セブン-イレブンは当時売り出し中だったお笑いトリオ、コント赤信号を起用したテレビCMを放映し、女子学生の集客を図った。

だがこの年、業界を未曾有の混乱に陥れる事件が起こる。「グリコ・森永事件」だ。翌1985年の2月12日には東京と名古屋のスーパーなどでの青酸ソーダ入りのチョコレートが発見され、商戦に冷や水を浴びせた。犯人グループは同年8月にマスコミに対して一方的に事件の終結を宣言したが、その影響は広範囲に及び、この年の総務庁(現・総務省)の「家計調査」でチョコレートの購入金額が前年割れするほどだった。

年が明けた1986年2月1日、事件の影響が残る中で業界に漂う陰鬱とした空気を振り払うようにリリースされたのが、おニャン子クラブからソロデビューした国生さゆりさんの「バレンタイン・キッス」だった(名義は国生さゆりwithおニャン子クラブ)。バレンタインデー前日の少女の気持ちをポップに歌い上げたこの曲は、ちょうど異性を意識する年頃に差し掛かった団塊ジュニア世代に突き刺さり、レコードセールス50万枚を超えるスマッシュヒットを記録した。

時はアイドル戦国時代。「バレンタイン・キッス」を号砲に、この年から各社による華やかなCM合戦が復活した。

明治製菓(当時)は看板商品「ミルクチョコレート」のCMに当代きっての歌姫、中森明菜さんを起用。対するロッテは「ガーナチョコレート」のCMに、かつてライバルメーカーのCM(「グリコ アーモンドチョコレート」)に出演していた小泉今日子さんを迎えた。

江崎グリコが新たに「ポッキー」などのCMに起用したのはデビュー二年目の歌手、本田美奈子さん。同時期、英国ロントリー・マッキントッシュ社(当時の販売元は不二家、のちにネスレ日本に移管)の定番商品「キットカット」のCMに出演していたのは、まだお茶の間に広く知られる前の宮沢りえさんと後藤久美子さんだった。

ちなみにこの年のヒットチャートを席捲したおニャン子クラブの面々は、番組スポンサーの関係から主に森永製菓のCMに出演することが多かったが、国生さんものちに、エスキモー(現・森永乳業)のチョコアイス「チェリオ」「ピノ」のCMに出演している。

1986年は男女雇用機会均等法が施行された年でもあった。4月にはテレビ朝日系で情報バラエティ番組『OH!エルくらぶ』がスタート。毎週土曜日、一般企業のOL(オフィスレディ)がスタジオに集まり、ファッション、グルメなどの流行について紹介する番組だ。

社会進出した女性が消費トレンドを握り始めた一方、彼女たちはまだ若く、職場においても様々な気を遣う必要があった。ニッセイ基礎研究所のレポート「バレンタインの変遷に見る女性のキャリアの変化~“義理チョコ”から“チョコ好きの女性たちの祭典”へ~」(坊美生子)によれば、5大全国紙に初めて“義理チョコ”という言葉が登場したのは2年後の1988年という。

1988年2月8日付の日本経済新聞では、「最近は、安いチョコレートは複数の男性に配り、本命には、ネクタイ、洋酒、システム手帳など高価なものを贈り始めた」と指摘。バレンタイン商戦市場の規模を「チョコ四百億円を含めて一千億円市場」と推計した。

翌1989年にローソンが、職場のチョコ選びに迷うOLを描いたバレンタインキャンペーンのCMを放映している。起用されたのは元おニャン子クラブで、歌手・タレントとして活躍していた生稲晃子さん(現・参議院議員)だった。

今年もメディアであの定番ソングが流れる時期だ。かつて隆盛を誇った“義理チョコ”文化は、虚礼廃止、リモートワークの普及、職場で働く人の多様化もあり、現在では風前の灯という。また一方でカカオ豆の先物価格は5年前の3倍以上に高騰し、メーカーと小売店は需要創出と高付加価値化に頭を悩ませている。「明日は特別スペシャル・デイ、一年一度のチャンス」なのは、売り手側にとっても同じ話なのだ。

【岸田林(きしだ・りん)】

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