〈農場訪問〉吉野ジーピーファーム(1) 衛生管理の徹底で無薬豚を生産 地域に根差した「飛騨旨豚」を開発
岐阜県高山市の吉野ジーピーファーム(吉野毅代表取締役)は、高山農場(岐阜県高山市)と中津川農場(岐阜県中津川市)の2農場で、母豚530頭(高山農場285頭、中津川農場245頭)、子豚2,500頭、肥育豚2,800頭を飼養する一貫経営。現在、年間約1万1,000頭を出荷している。同社の特徴は出生から出荷に至るまで、抗生物質・合成抗菌剤・ホルモン剤を一切使用しない、いわゆる「無薬豚」の生産を追求している点だ。流通・販売事業者と協議のうえ独自の生産・飼養衛生プログラムをつくり、徹底した飼養・衛生管理に取組むことで外部からの疾病の侵入による感染予防に注力している。「安全・安心で、きれいな農場でストレスなく育ったおいしい豚肉を提供したい」という信念を持ち続け現在に至っており、こうした吉野氏の情熱を社員一丸となって共有し実践している。(日本養豚協会:養豚農業実態調査報告書、本紙取材)
飼養する豚は、EM(有用微生物群)飼料を利用することで豚の健康維持と育成率を高めているほか、品質面でもおいしさの向上を目指してバークシャー種を交配している。肥育期には麦30%を、さらにオレイン酸を高めるため地元産の飼料米(玄米)を20%配合するなど、地産地消の取組みも行っている。同社のブランドでは「飛騨旨豚」の認知が拡大しており、地元では肉の匠家、中京エリアのイオングループ、関東エリアの紀伊国屋など有名店での取扱いが広がっている。さらに、中津川農場では地元特産品の栗きんとんの原料となる栗を与えて、「栗旨豚」を生産するなど、地域貢献の取組みを進めている。
そのほか、岐阜県大野郡白川村の誘致を受けて、同村に第3農場を建設しており、今後、世界遺産で有名な白川郷の銘柄豚として地元から大きな期待を受けている。
【経営の沿革・特徴】吉野氏は日本獣医畜産大学を卒業後、高山市の農協に5年間勤務。1989年に一念発起し養豚業を始めた。養豚は一貫生産が主流であったため、自分たちで経営をコントロールでき、技術・経営の両面で修練を積むことでもより利益を上げられるビジネスが成り立つと考え、母豚100頭規模でスタート、10年後の98年には250頭の一貫生産に規模を拡大した。
経営の最大の特徴は上述のとおり、出生から出荷まで抗生物質や合成抗菌剤、成長ホルモン剤などの薬剤を一切使わない無薬豚の取組みである。創業当初は英国マスターブリーダー社から種豚を導入し、SPF豚(豚の健康に悪影響を与えるとされる特定の病気が存在しない豚)を使ったGP農場からスタートした同社は、一貫経営に移行した際に、より品質が高く、安全・安心な豚をつくろうと決心した。そこで2002年から03年にかけて完全無薬化に挑戦。無薬化に移行する前から、と畜場サーベイチェックや血液検査などの結果から、自社のヘルス・ステータスは国内トップの衛生レベルにあると自信があったとのこと。03年2月に完全に無薬へ移行し、飼料タンクからチューブ、餌箱などすべてのステージを洗浄して取組んだ。
しかし完全無薬化に移行して数カ月経つと事故率が2%から10%に悪化した。原因は日和見感染症やストレスなどで大腸菌性下痢を発症したことによるもので、「いままで薬剤で守られていた部分が無薬化によって影響が露呈し、もう一度飼養・衛生管理を見直さなければならないと考えた」(吉野氏)と当時を振り返る。
また98年ごろから大手スーパーのイオンから無薬豚の生産についての依頼があり、流通・販売サイドからもニーズがあると知り、「我々も使命を感じて、安全・安心で品質の高い豚肉を提供していこうと決めた」(吉野氏)とした。その取組みから生まれたブランドが、イオンPBの「育味豚」だ。「育味豚」は当初、関東で5店舗、中部・東海エリアの4店舗でスタートしたが、店舗数の拡大につれ欠品も生じる事態となった。そのため、当初は一部種豚生産も行っていたが、生産規模拡大のため、種豚生産をやめて「育味豚」一本で生産をする体制を取った。
〈この項、続く=吉野ジーピーファーム(2) 飛騨旨豚の誕生〉
〈畜産日報 2018年6月26日付より〉
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