“カップ麺を間食品から主食品への地位に高めた”エースコック「スーパーカップ1.5倍」が探り当てた若者のホンネとは?、1988年7月23日発売【食品産業あの日あの時】
日本即席食品工業協会が5月に発表した2023年度の国内インスタントラーメン生産量(4月~3月)は57億5006万食で、そのうちカップ麺は37億7437万食だった。前年度より5.1%ほど減少したが、それでもインスタントラーメン全体の65%以上を占める。同協会によればカップ麺の数量が初めて袋麺を上回ったのは1989年(昭和64年/平成元年)のこと。その原動力となったのが、前年に発売されたエースコックの「スーパーカップ1.5倍」シリーズだった。「カップ麺を間食品から主食品への地位に高めた」「爆発的なヒット。即席めんの流れを変えてしまう売れ行き」と評された商品は、いかにして誕生したのか。
「スーパーカップ1.5倍」誕生前夜の1987年、インスタントラーメン市場はマイナス成長を記録。麦価の改訂による影響や非健康的なイメージの浸透など様々な理由が分析されたが、いずれにせよ各社は新機軸の商品開発を迫られていた。
同年秋、エースコックの村岡寛 専務取締役(当時。現・同社相談役。1994~2004まで同社社長)は「カップ麺の量は物足りない」というヤング層の潜在的な不満を解消するための新商品開発に着手。たどり着いたのが一般的なタテ型カップ麺の1.5倍の麺と、それをたっぷりのお湯で戻すための大きな容器だった。
「味も大きさもスーパー」という明快なコンセプトにこだわり、カップ麺ではなじみの薄かった「とんこつ味」の開発にも挑んだ。だが事前の消費者調査では「通常サイズで適量」「バケツカップはいらない」という声があり、社内にも懐疑論が持ち上がった。納得がいかなかった開発チームは試食の順番を変えて再度消費者調査を実施したところ、ようやく「通常サイズでは少ない」という意見が返ってきた。「これこそが若者のホンネである」と判断した開発チームは「村岡社長の一存で販売を決定(同社ブランドサイトより)」したという。
〈若者の生活のよりどころ「コンビニ」でヒット〉
1988年7月23日、「スーパーチャーシューラーメン・生しょうゆ仕立て」「スーパーみそラーメン・生みそ仕立て」「スーパーとんこつラーメン・博多風」が登場すると、狙い通り食べ盛りの中・高・大学生が飛びついた。当時のカップ麺では年間50万食出ればヒットと言われるなか、発売4カ月で80万食を出荷。この躍進の背景にあったのが、コンビニの発達だ。
「フランチャイズチェーン統計調査(日本フランチャイズチェーン協会)」によればこの年、主要7チェーンのコンビニ店舗数は初めて1万店を突破(11,617店)。コンビニは地方から都会に吸い寄せられた若者たちの生活のよりどころとして、またアルバイト先としても定着しつつあった。「スーパーカップ1.5倍」は、コンビニに集まる若者たちの胃袋を満たすに十分な味と量を備えた、初めてのカップ麺だった。
翌1989年1月、エースコックは「スーパー1.5・海鮮シーフードラーメン」「スーパー1.5・わかめごま・しょうゆラーメン」「スーパー1.5・わかめごま・みそラーメン」をラインナップに追加するとともに、CM戦略を転換。大学生のスポーツサークルやホコ天バンドなど市井の若者たちが「スーパーカップ1.5倍」をリアルに支持していることを、彼らの感想を通じて訴求した。
CMの中で若者のひとりが発した「グラッチェグラッチェ」はちょっとした流行語にもなった。ちなみに同時期に日清食品が放映した「カップヌードル」のCMは、両手にやかんを持ったアーノルド・シュワルツェネッガーがラッキィ池田の振り付けによる摩訶不思議なダンスを踊るというもの。これはこれで大いに話題となったが、2社の戦略の違いが際立った。
「スーパーカップ1.5倍」の大ヒットが寄与し、翌1989年のインスタントラーメン生産量はカップ麺24億500万食、袋麺22億2500万食、合計46億3000万食となり過去最高(当時)を更新した。日清食品が「カップヌードル・ビッグ」を投入したのは1991年1月のことだった。
以降もエースコックはインパクトある訴求を継続し、“ヤングの主食”としての「スーパーカップ1.5倍」の地位を強固なものにしてゆく。1993年に投入した「スーパーカップ1.5豚キムチラーメン」ではNBA選手チャールズ・バークレー(当時フェニックス・サンズ)をCMキャラクターに起用。同年には宮沢りえとビートたけしが訳あり風なカップルを演じるCMも注目を集めた。翌1994年にはブランド全体のキャラクターとして清原和博(当時西武ライオンズ)を起用。それまで西武ライオンズでは選手個人のCM出演を禁止していたが、その解禁第一号がこの清原のCMだったという。
昨年誕生35周年を迎えた「スーパーカップ1.5倍」。2012年からは日本高校ダンス部選手権への協賛を開始。2015年からは特別協賛「スーパーカップダンススタジアム」に格上げされ、現在も継続中だ。今年2月にはいじめ反対の意思表示のためピンクの服を着用する「ピンクシャツデー」運動に賛同し、パッケージ全面にピンク色を押し出した新商品を発売するなど、若者たちの「挑戦の原動力」となり続けるための発信を続けている。Z世代の“ホンネ”を探るエースコックの挑戦も続く。
【岸田林(きしだ・りん)】