圃場130haを「1台体制」で作業=横田農場・横田修一社長講演①
茨城県龍ケ崎市の生産法人、㈲横田農場の横田修一社長(写真)は去る11月26日、jaja(農政ジャーナリストの会)で「稲作の大規模法人経営に取り組んで」と題し、以下の通り講演した。
〈経営の展開〉
横田農場が法人化したのは1996(平成8)年、私が茨城大学の2年生だったときだ。当時の規模は約16ha。基本的に父母の2人で運営し、忙しいときはアルバイトが来たり、私も手伝ったりという状況だった。父母は子供の前で農業が苦しい、辛いとは言わないように夫婦で示し合わせていて、私は子供のころから農業は格好良い、将来は農業をやりたいと思っていた。私が大学の農学部に入ったことで、両親は「横田農場を会社にして就職させ、ちゃんと給料を払おう」と思い、法人化したという。父母と私で出資した3人だけの会社だったが、今は少しずつ人も増えてきた。役員は母が抜けて父と私の2人になり、社員は母や私の妻も含めて11人。内訳は生産が5人、精米販売が2人、研究が1人、スイーツなど加工品の製造販売が3人。その他に、加工の手伝いは近所のお母さんたちがパートで来ていて、かなり大所帯になってきている。
作付は米だけで、経営面積は125ha。そのうち、加工用米は27ha、備蓄米は12ha、飼料用米は4ha。茨城では珍しく、中間管理機構を通じて利用権を設定している。その他に田植え・稲刈りなど延べ20haを作業受託している。
私は1998(平成10)年に入社。余力ができたところで、父が自分で販売をしてみようということになり、ウェブサイトを作ったり、龍ヶ崎のニュータウンに折り込みチラシを入れたりと、経験がないので悩みながら、少しずつ販売を開始した。直売にあたり、他所のお米と何が違うのかという質問に答えるために、2001(平成13)年、有機JAs認定、いばらきエコ農産物認証を受けた。2003(平成15)年頃からはCsRの意味合いもあり、近隣の子供たちを対象に体験イベント「田んぼの学校りゅうがさき」を開始した。2004(平成19)年に直播栽培を始め、一昨年には、ありがたいことに農林水産祭天皇杯を受賞。今年はライスセンターを竣工している。
〈経営の特長〉
2001(平成13)~2002(平成14)年頃までは緩やかな規模拡大だったが、そこから後は毎年10~15ha、急激に拡大している。ひとつのきっかけは地元の圃場整備。地域には高齢で農業をやめていく人が多い。横田農場は数少ない地域の担い手に位置づけられ、どんどん田圃が集まってくるようになった。圃場は整備された約2.5km四方のエリア内だけで増えていて、移動にかかる時間が少ないのが特徴だ。田圃は380枚。規模拡大に伴い枚数も増えてきていたが、最近は、飛び飛びになっている田圃の間の場所も貸してもらえる状況になってきて、畔を取って一枚にすることも許されるようになってきている。今後、枚数は減っていく状況にある。
作業は経営する125haと作業受託分の合計で約130haを、田植え機1台、コンバイン1台の「1台体制」で作業している。それができるのは、まず移動時間が少ないこと。移動はトラックを使わず、機械で自走している。それから、早稲から晩生まで7品種、時期を分散していること。田植は4月下旬から6月下旬まで、刈取は8月下旬から10月下旬までの各2か月間、ほぼ毎日作業をしている。なぜ1台体制にしようと思ったのかとよく聞かれるが、目指してきたわけではない。「来年15ha増える」となったときに、機械を買うと言ったってお金も大変だし、誰が動かすのかということになる。機械を買うことで規模拡大に対応せず、どうしたら今ある機械を効率的に稼働できるのか工夫してきた結果、130haを1台で作業できるようになった。
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