全パン連・西川隆雄会長の「旭日小綬章を祝う会」に250名参集、各界からお祝いの声
全パン連(全日本パン協同組合連合会)の西川隆雄会長(西川食品(株)社長)の叙勲を祝う「西川隆雄氏 旭日小綬章を祝う会」が11日、都内で開かれた。西川会長は2018(平成30)年秋の叙勲で、旭日小綬章(食料品加工業振興功労)を受章した。
全パン連・西川隆雄会長
今回の祝う会は日本パン工業会の飯島延浩会長(山崎製パン(株)社長)が発起人代表。発起人には、パン食普及協議会の細貝理榮会長(第一屋製パン(株)会長)、(一社)日本パン技術研究所の佐々木堯理事長、全パン連の桑野龍一副会長、原田一臣副会長、川島弘士副会長、山田明彦副会長、木元繁副会長、伊原靖友副会長、池野元造監事が名を連ねる。会場には関係者約250名が参集。自民党パン産業振興議員連盟の中曽根弘文会長(参議院議員)、渡海紀三朗幹事長(衆議院議員)の他、山東昭子参議院議員(日本炊飯協会顧問)等、多数の国会議員も出席した。農林水産省食料産業局の新井ゆたか局長、文部科学省の矢野和彦審議官(初等中等教育局担当)も出席した。
開会の挨拶をしたパン食普及協議会の細貝会長は、「西川会長とはパン食普及協議会の会長、副会長として、十数年にわたり二人三脚で進んできた。二人三脚というと聞こえが良いが、どちらかというと私はおんぶに抱っこで、西川会長には大変お世話になっている。パン食普及協議会の限られた予算の中で、どうパンの普及をするか。西川会長発信でパンフェスティバル、ご当地パン祭り等の企画が始まり、大変好評だ。こういうお金の使い方もあるのかと、目から鱗が十枚も二十枚も落ちる。函館のパンフェスティバルには約2日間で6万人の方が来場してくれた。函館の人口は約20万人。3人に一人が訪れてくれた計算になる。それもこれも西川会長のアイディアがあり、それを全パン連青年部が支えた。消費者向けのパンの普及だけでなく、パンの作り手として次の世代にどう夢と希望をつなぐか。これもパン食普及協議会の使命だと改めて感じた。西川会長のリーダーシップとアイディアにはただ敬服する。さらなるご活躍を期待したい」と賛辞を贈った。
発起人代表の日本パン工業会の飯島会長は、「西川会長は何事も熱心に取り組む豪放磊落な方。全パン連の会長としてリーダーシップを発揮してこられた。小学生の頃からニシカワパンで手伝いをして、大学を出てからニシカワ食品合資会社に就職。
1991(平成3)年に現在のニシカワ食品(株)の社長に就任された。その頃はバブル景気がはじけ、『失われた20年』と呼ばれる時期が始まったころ。1993(平成5)年には会社の経営方針を変え、拡大戦略ではなく、直営店に注力し、もの作りを徹底された。また、ご子息の西川隆博氏とヴィロン、セントル ザ・ベーカリーを立ち上げ、新たな需要の開拓に取り組んでいる。地元の兵庫県パン協同組合の理事長を務め、2009年(平成21)年に、全パン連の11代目会長に就任。時代の変化により生ずる様々な変化への対応のため、日本全国を駆けずり回っている」等と功績を紹介した。
西川会長は「私は今年で75歳だが、パン屋しか知らない。小学生でパンを売ることから始めて、これまでもらった給料もほぼニシカワ食品から。75年の中で何が残ったかを考えると、自分の中では『パン屋が残った』と言える。いや、子供のころは運動会に親も来てくれないし、『何だこんな仕事』と思ったが(笑)。もう少し、皆さんと大好きなパン屋をやりたい。もう少し、皆さん方と学校給食について考えていきたい。もっと、子供たちが食べたいパンを作らなければ。『子供たちにちゃんとした給食』を一番のモットーとして頑張ってきたい」と述べた。
〈米麦日報 2019年3月13日付〉