山形の老舗商社「西谷」女性・母親目線で防災を発信、「今までにない防災サービス展開したい」/西谷友里取締役インタビュー
東日本大震災から今年で13年。その震災を機に家業の商社を継ぎ、山形県山形市から女性・母親目線を取り入れた防災事業を展開しているのが、「有限会社西谷」の西谷友里取締役だ。
防災士などの資格を持つ西谷氏は、SNSで利用者の生の声を集め、オリジナル防災ボックス「ENJOYBOUSAI」シリーズを展開。都内の百貨店と連携した防災企画も立ち上げた。西谷氏にこれまでの歩みや最新の取り組み、今後の展望を聞いた。
〈インタビュー日=3月5日〉
――(有)西谷はどんな会社ですか。
創業275年の老舗商社で、私は9代目です。時代に合わせていろいろな商品を販売してきましたが、今は「お薬と生鮮食品以外は何でも売っている」をキャッチコピーに、学校関係や福祉施設、病院などに日用品や衛生用品、防災用品、コンテンツ事業などを展開しています。
――家業を継がれた経緯は。
私は一人っ子ですが、最初から継ぐつもりは全くなく(笑)、東京の大学を卒業したあと、日本テレビ系列の山形放送に入社しました。TVディレクターとして社会人人生を歩んでいたときに起きたのが、2011年の東日本大震災です。山形はライフラインが1日半停まった程度でしたが、局内は大混乱でした。そんな中、TV制作ディレクターだった私も1~2週間はラジオブースに張り付いて、「スーパーで何時からパンが販売される」といった情報をかき集め、アナウンサーに共有する毎日でした。
それが一通り落ち着いて実家へ帰ったとき、家の前に自衛隊の軍車がいっぱい停まっていたのを見ました。非常食や亡くなった方の遺体を包む袋を積み込んで、被災地に向かっていたんです。その時に、「何かすごいことが起きてるんだ」という恐怖の気持ちと、自分の会社を頼りにしていただけるありがたさを感じました。その時、1人の男性が会社の前に座っていました。その方は、福島県の南相馬市から水のポリタンク1個を求めて、信号も停まっている中を2時間半かけていらっしゃった方で、「街の人から『西谷さんだったら手に入るんじゃないか』と教えてもらった」ということでした。
その時に、私が家業を継がなくてはこの会社は無くなってしまうし、必要としていただけることってすごく有難いな――そう思い、震災が少し落ち着いた頃に山形放送を退社しました。その後、東京都内のベンチャー企業で経営を学び、震災から約2年半後に山形へ戻りました。ところで、実は私、昔は「防災関係の仕事って恥ずかしい」と思っていたんですよ(笑)。
――そうなんですか? 一体なぜでしょう。
なんか「ダサいイメージがある」じゃないですか。消火器も非常用持ち出し袋も日常的に持つには恥ずかしいデザインが多いし、とにかく「防災=おしゃれじゃないもの」「隠したいもの」ってイメージでした。今思えば長い思春期のように、家業を継ぎたくない気持ちからの反抗心だったように思います。でも震災を経て、(防災の仕事は)ものすごく必要とされているし、人を助ける仕事だということを知って、考えが変わっていきました。
――入社後のことを教えてください。
西谷に入社した時期は、地震や水害などが多発していたこともあり、個人のお客様から防災食のお問い合わせが非常に増えていました。ただ、当社は自治体からの大口注文などには対応できていても、個人のお客様のニーズには応えられていませんでした。女子高・女子大時代の友達がみんなママになってきた時期で、「防災グッズを備えたい」という声も沢山届いていたのですが、最初は断っていたんですよ。(個人相手だと)同じ味の50袋・1ケースしか売れませんから。でも、あまりに要望が多かったのと、自分で防災用品を買ってみようと思った時に、何を買っていいか分からなかったんです。
そこでTwitterに、「私は山形県で防災事業をやっています。新しい商品を開発するにあたって、東日本大震災で本当に必要なものは何だったか教えてください」と投稿しました。すると、「非常食は美味しくないイメージがあるから、美味しいものが食べたかった」「(防災用品を)誰かから貰ったら嬉しい」など、大量のコメントが寄せられました。
そのリアルな声を集めて2020年3月に発売したのが、「ENJOYBOUSAI」ブランドの「断水時に便利なアイテムが入っている。でも、ちょっと足りない防災ボックス。」でした。
皆さんがAmazonなどで商品を買うときに一番不安なのが、「本当にこれって美味しいの?」「便利に使えるの?」という点だと思います。なので当社は、ボックスに入れる商品は全て責任もって味見をしたり、実際に使ったりします。忖度なしに、不味いものは一切入れません。当社のフィルターを通して、美味しいものだけを選んでいます。
――以降もSNSの声を集めて、防災ボックスを展開していきます。
中でも、2020年9月に発売した「よりそう防災ボックス~食物アレルギー対応版~」は、「防災グッズ大賞2023」で優秀賞を受賞しました。
――事業で大事にしていることは。
(災害に)備えるだけでなく、「おいしい・楽しい・おしゃれ」の要素をプラスしています。女子って、化粧品や体に良いものを買う自分自身に嬉しくなったりしませんか? そんな風に、「防災グッズを買った自分を褒めてあげたくなるような商品」を目指しています。
防災っていうと、必ず「おじさん」が語っているイメージがちょっとあって……。防災関係のテレビ番組でも、年配の男性がスーツを着て、難しいことを語っていますよね。でも、私は365日渋谷で遊んでいたギャルだったので(笑)、当時は防災に全く興味が持てなかったんです。だから今、私が髪を黒くしてスーツを着てメディアに出たら、「硬い人が硬いことを語っているな」って思われちゃう。それで、(ブランドの)ロゴを可愛くしたり、テレビに出るときはオレンジやピンクの服を着たりしています。
――大丸松坂屋百貨店と連携した防災企画も展開してきました。
首都直下型地震や南海トラフ地震がこれから来ると言われている中で、東北の皆さんのお声を集め作りあげた「ENJOY BOUSAI」のアイデアをどうやって広めていくか。そこで、東京の玄関口である東京駅に注目しました。東京駅には各地方から集まった方もいれば、外国人の方もいる。もしそこで災害が起きたら、どこか安全そうで食料のあるところに逃げ込みますよね。
そこで、東京駅直結の百貨店である大丸松坂屋百貨店に公式HPからメールを送りました。すぐに返信を下さったのは、大丸松坂屋でスイーツを担当している女性バイヤーの方です。それまで大丸松坂屋の公式オンラインストアでは防災グッズをほとんど扱っていなかったそうですが、「私は非常食を非常食として販売しません。これをギフトとして売りたい。非常食は絶対にギフトになるし、喜ばれるし、あげてハズレがないはずです」とお伝えしました。
その想いを受け止めて下さり、最初に発売に至ったのが「非常食の福袋」でした。3品のうち1品が完売して、他の2品もまずまずの成果でした。そこで、「防災ってギフトになるんだ」という一筋の光が見えました。2022年の9月には大丸松坂屋として初めての防災特集を組んでいただき、予想以上の反響がありました。
防災をもっと身近に、ワクワクするようなものを届けられないか――と、次の企画を考えていたタイミングで起きたのが能登半島地震でした。その後、新潟や石川も含めて注文や問い合わせが急増し、納期が遅れて届けたくても届けられない状況も発生しています。
そこで思ったのは、防災は「災害が起きていないときだからこそできること」で、災害が起きると防災は一切できなくなるということです。
――2月には大丸松坂屋百貨店オンラインストアで「防災用品頒布会」を開始しました。
「防災用品頒布会」は毎月テーマが決まっていて、それに基づいた商品を全3回と全6回でお届けします。6回コースの場合、最終回は9月1日の「防災の日」の前日に届くようになっています。何回かに分けてお届けすることで、毎月必ず防災のことを思い出していただけるようにしています。
――今後の意気込みを。
今までになかった防災サービスを展開していきたいです。“全国初”の取り組みしかやらないつもりです(笑)。現在、取り組んでいることがあるのですが……、いずれも全国で初めての取り組みを目指しているので、心の中にしまっておきます。とにかく頑張っていきます!
――ありがとうございました。
〈米麦日報2024年3月15日付〉