爆発的ブームを起こした「ビックリマンチョコ」とプロ野球の意外な関係、「悪魔VS天使」シリーズ発売、1985年8月【食品産業あの日あの時】

「ビックリマン悪魔VS天使 39thANNIVERSARY」(2024年4月発売、6月に全国拡大)
「ビックリマン悪魔VS天使 39thANNIVERSARY」(2024年4月発売、6月に全国拡大)

今年39周年を迎えたロッテの「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使」シリーズ。4月1日の「ビックリマンの日」に発表された「ビックリマン悪魔VS天使 39th ANNIVERSARY」も好評のうちに即完売したもようだ。

「ビックリマン悪魔VS天使 39thANNIVERSARY」(2024年4月発売、6月に全国拡大)
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ウエハースチョコ菓子「ビックリマンチョコ」は1977年発売。当初はおまけとして写実的なイラストの「どっきりシール」が付属し一定の人気を博したが、マンネリ化もあって80年代に入ってから伸び悩んでいた。この状況を打破するために企画されたのが、1985年8月に登場した「悪魔VS天使シリーズ」だった。1個30円(当時)のウエハースチョコに1枚、天使、悪魔、お守りの3陣営に分かれた多種多様なキャラを描いたシールがランダムに封入された。

なかでも“ヘッド”と呼ばれる特殊な印刷技術を使った稀少なシールが子供たちの収集欲を刺激し、次第に人気が広がってゆく。最初期の“ヘッド”、スーパーゼウスのモデルは、当時プロ野球阪神タイガースで神がかり的な活躍を見せていたランディ・バース。全能の神ゼウスに“スーパー”を付けたのは、「ビックリマンチョコ」の最大の販路だったスーパーマーケットを意識したものだったという(小学館コロコロオンライン「ビックリマン伝説シール誕生秘話」より)。

翌1986年に入ると複数の少年誌が「ビックリマンチョコ」の特集記事を組み始め、同年末には月刊『コロコロコミック』誌上でオリジナル漫画もスタート。話題が話題を呼び、店頭で「ビックリマン一人三個まで」といった購入制限が設けれられるほどの爆発的なブームとなった。

「ビックリマン」が斬新だった点は、シールが持つストーリー性とメディアミックス戦略だった。それぞれのシールには断片的な情報しか掲載されておらず、集めれば集めるほど新たな謎が生まれた。『コロコロコミック』ではそのストーリーを補完するための特集が組まれ、さらに漫画、アニメ、ゲームといったメディアで独自のストーリーがアメーバのように広がっていった。

「ビックリマン」の大ヒットを受け、各社も「ラーメンばあ」「ガムラツイスト」(ともにベルフーズ、現・クラシエフーズ)、「ドキドキ学園」(フルタ製菓)、「秘伝忍法帳」(エスキモー、現・森永乳業)といったシール入り商品で追撃したが、2カ月おきに投入される「ビックリマンチョコ」の新たなシールと、独創的な世界観には敵わなかった。

2019年に刊行された「コロコロ創刊伝説(第4巻)」(小学館)によれば最盛期には月産3300万個製造、年間売上120億円を超えたという。工場をフル稼働させてもウエハースチョコの製造が間に合わないことから、急きょ過去のシールの復刻版を封入した「ビックリマンアイス」「ビックリマンスナック」も投入された。1987年11月号の『コロコロコミック』誌上で開催された新キャラクター募集コンテストには約15万通もの応募が寄せられたという。

行き過ぎたブームは弊害も生んだ。子供たちの中には、シールだけ抜き取ってウエハースチョコを食べずに捨ててしまったり、稀少なシールを金銭で売買、あるいは盗もうとするものも現れた。また一部の商店では抱き合わせ販売や、偽物のシール(ロッチ)の販売も横行。問題視した公正取引委員会は1988年、ロッテに対して状況の改善を指導。

これを受けロッテは「シールの価格差をなくす」「種類ごとの混入率を均一にする」「特定のシールに価値が出るような広告を行わない」といった施策を講じた。『コロコロコミック』1988年11月号は「ビックリマンシールが生まれ変わるぞ」という見出しで“ヘッド”を含めたすべてのシールの材質と、当たる確率が同じになることを伝えている。これが転機となり、次第にブームは沈静化していった。

「ビックリマン悪魔VS天使 39thANNIVERSARY」(2024年4月発売、6月に全国拡大)
「ビックリマン悪魔VS天使 39thANNIVERSARY」(2024年4月発売、6月に全国拡大)

ところで「悪魔VS天使シリーズ」が発売された1985年には、菓子のおまけにもう一つ変化が起こっている。1973年から発売されていたカルビーの「プロ野球チップス」に、初めてロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手のカードが添付されたのだ。親会社のロッテとカルビーが菓子の分野で競合にあたるため、それまでロッテ球団は自軍選手のカード化を承認していなかった。

初めてカードになったオリオンズの選手は落合博満。当時のパ・リーグを代表する選手のひとりで、同年には打率.367、52本塁打、146打点という圧倒的な成績で自身2度目の三冠王を獲得した。オフに入り「日本人初の1億円プレーヤー誕生か?」とはやし立てるメディアをよそに、ロッテ球団が落合に提示した年俸は約9700万円。強烈なプロ意識で知られる落合は翌年、二年連続3度目の三冠王を置き土産に、ロッテと再契約することなく1対4のトレードで中日ドラゴンズに移籍した(中日での年俸は1億3000万円と言われる)。

落合の去った1987年、ロッテ球団はオリオンズの主力選手10人を「ビックリマン」キャラ化したシールをオープン戦の来場客に配布。“ヘッド”は前年に現役を引退したばかりの新監督、有藤道世(スーパーオリオン)だった。「ビックリマンチョコ」のヒットがあと1年早ければ、ロッテが落合の引き留めに成功した世界線もあった…かもしれない。

「悪魔VS天使シリーズ」の発売から間もなく40年。「ビックリマン」は現在もブランドとして成長を続けている。「プロ野球チップス」で因縁のあったカルビーとロッテはその後距離を縮め、2020年には両社のコラボによる「ビックリマンプロ野球チョコ」も発売された。

今年4月にはスマホゲーム「ビックリマンワンダーコレクション」が配信開始され、8月には“ビックリマン地方創生プロジェクト”の一環として沖縄の久米仙酒造とのコラボによる「ビックリマンウイスキー OKINAWA ISLAND BLUE」も登場。その分野は菓子にとどまらない。次はどんなコラボでファンを驚かせてくれるのか、40周年を迎える来年の展開に注目したい。

【岸田林(きしだ・りん)】